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ご挨拶
オンライン展示
学祖高橋琢也の情熱、建学の精神「自主自学」に導かれた学生、教員が紡ぎ出した物語です。
東京医科大学 学長宮澤啓介
東京医科大学の歴史は、医学の道を究めたい学生、それに呼応し私財を投じて学校建設に邁進した学祖?高橋琢也の情熱をもって始まった。1916(大正5)年5月、日本医学専門学校の学生が、「血署連判状」(または「血判状」)を作成し、一斉退学した。理想とする学びの環境を学生らが自ら実現しようと試み、幾多の艱難を乗り越え、同年9月に東京医科大学の源流となる東京医学講習所が設立された。
1917(大正6)年以降、高橋は、専門学校の設立を喫緊の課題にかかげ、71歳という年齢ながらも奮闘の日々を送る。高橋は東京医専設立委員長に就任し、専門学校の設立の認可を得るために、資金募集、認可申請書の作成、校舎の建設など多忙を極めた。 詳しくはこちら
1916(大正5)年9月に東京医学講習所が設立され、続いて1918(大正7)年4月に東京医学専門学校の設立が認可された。1920(大正9)年4月に無試験認定校に指定されるなど、1920年までに東京医学専門学校の教育施設や制度が次第に整備されていった。 詳しくはこちら
1918(大正7)年4月、東京医学専門学校の設立認可を得て、1920(大正9)年4月には無試験開業の認定を獲得した。校長には、順天堂医院の佐藤達次郎が就任している。佐藤家は代々医学の系譜を引き、日本最古の西洋医学塾である順天堂を主催していた。佐藤泰然により創設され、第3代堂主が佐藤進であり、その養嗣子が佐藤達次郎であった。 詳しくはこちら
おわりに
学校法人東京医科大学 常務理事歴史史料室準備プロジェクト 責任者永井秀三